法科大学院の「本音」と「自覚」
あまりこういう言い方をする人はいませんが、「改革」は法科大学院という存在に、「法曹養成の中核」という地位を与えるとともに、非常な便宜を図ったとみることができます。いうまでもなく、司法試験の受験資格要件という、プロセスの強制化です。旧司法試験体制が批判されたとしても、法曹養成そのものには実績がなく、未知数と言っていい大学が運営する存在に、これまでの公平な受験機会を犠牲にしてでも、強制的に志望者を導き、それを本道にするという試みーー。
それははじめから、それに見合うだけのことが「本当にやれるのか」「『価値』を示せるのか」という疑いを排除して進められたといっていいものでした。なぜなら、その実証を前提にすれば、少なくとも志望者にとってリスクが少ないはずの、強制ではない選択制という道を、それこそまるで選択の余地がないもののように、「改革」は排除したからです。
新法曹養成制度に当初課せられたのは、司法試験年合格3000人に向って、法曹の量産体制を支えながら、基本的に「質」は落とさない、ということのはずでした。しかし、量産が実現するまで、司法試験合格を簡単にすることなど基本的に念頭にない法曹界には、当初から法科大学院の「実力」に懐疑的な見方もあり、とりわけ裁判所の関係者からは、多分に「お手並み拝見」的なニュアンスの声も聞かれました。ただ、今にしてみれば、弁護士会の「改革」推進派が、法曹養成への主導的関与という期待感と「野望」を背景に、一番前のめりだったといっていいかもしれません。
中核としての優位な立場を与えられた法科大学院は、その期待にこたえ、司法試験という関門を通るレベルの人材を輩出する使命を帯びた、というのが法曹界側の基本的な理解です。現実的に司法試験合格者が2000人レベルにとどまったのは、3000人構想への非協力でもなんでもなく、いわば逆立ちしてもギリギリそれ以上は合格させられなかった、法科大学院体制の「実力」というとらえ方も強くあります。
小林正啓弁護士の著書「こんな日弁連に誰がした?」に印象的な記述があります。2004年にスタートした法科大学院体制の合格2000人頭打ちという「実力」がはっきりするのは、2009年のことだったとみていいと思いますが、その前年2008年7月まで法科大学院側は強気で、中央教育審議会の田中成明会長は法科大学院が「期待される役割を果たしている」としていた、と。それが1ヵ月後に一転、座長自身が「質」の懸念とともに、はじめて下位校統廃合の方向に理解を示します。その理由について、小林弁護士は次のように推測しています。
「豹変の理由は、おそらくこうだ。法科大学院出身の司法修習生が研修所の卒業試験で書いた答案集を見せられたのである。法律家の誰もが一瞥して天を仰ぎ、『法科大学院は一体何を教えているのだ?』と激怒するような答案の束を突きつけられては、ぐうの音もでない。被告人のアリバイの主張を無視するような『トンデモ答案集』は、一部マスコミにも公開された」
法科大学院は、今、「改革」の結果をどう考えているのか。その一端を知ることができる、朝日新聞が廃止校、募集停止校を含めた全74校を対象に行ったアンケート調査の結果が報じられています(同新聞7月3付け朝刊、朝日デジタル)。
回答があった57校の約8割が政府の施策に問題があったと回答(「大いに問題」26校、「ある程度は問題」20校)。重要と思う問題点は複数回答ありで「予備試験を導入すべきではなかった」が24校、「大学院の設置数を絞るべきだった」が23校、次いで「司法試験を大学院の講義に対応させるべきだった」17校、「7、8割という司法試験合格率の想定が高すぎた」9校で、法科大学院側の「努力が不十分だった」は6校――。
参入、推進した側の自己弁明、あるいは恨み節という要素は否定できませんし、これらがすべて「本音」といえるかも分かりません。当然、「そもそも参入しなければよかった」ということは、大学側の責任につながるゆえに表に出づらい「本音」のはずですし、そこにはまた、あの乗り遅れるなとばかりに各大学が手を挙げるなかで、そういう選択肢はなかったという、これも表に出ない弁明もあるもしれません。
もちろん、この「本音」は必ずしも法科大学院教員の「本音」とは括れません。そもそもの構想に無理があったことを認識しながら、いまや「失職」を回避したいということが、それでも制度にしがみつく「本音」という声も聞こえてきます。
ただ、それにしても法科大学院側の「努力不十分」を挙げたのは6校だけという現実はどうみるべきでしょうか。「努力次第でなんとかなったという認識か」という問いかけもできなくはありませんが、「改革」によって優位な立場を与えられながら、責任が果たせなかった、その「実力」を省みる方向の認識が、これだけという現実です。
「法科大学院 浮かぶ不満」。こう見出しで振った「朝日」のこの記事の論調は、「国の施策が当初の理念から離れている」と括り、国に責任ありの法科大学院・関係者のコメントで固めるなど、はっきりと彼らよりの立場を示しています。文脈・構成から考えて、予備試験制限必要論、現行司法試験元凶論、さらに国の責任による弁護士職域拡大論に同調しているようにとれますし、読者にもそう伝わると思います。
しかし、なぜ、今、プロセス強制という便宜を図ってもらいながら、「結果」を出せず、「価値」を示せなかった制度そのものの責任や無理をまず問わないのでしょうか。予備試験の「バイパス化」を目の敵にしても、優位な立場を与えられても選択されなかった結果なわけで、「導入すべきでなかった」という声も、制限論も、強制不足といわんばかりの強制頼みの姿勢ともいえます。予備試験を制限したところで、志望者の費用対効果を踏まえた「価値」を示せなければ、さらに人材はこの世界から離れていくだけです。
前記した通り、司法試験の内容を法科大学院の現実レベルに合せて拡大するのには、限界があることは既に明らかになっていることです。また、具体的に何ができる話かも分かりませんが、国が企業・自治体に働きかければ弁護士の経済状態が回復し、志望者が回復するという楽観論に立つ人は現実的にどのくらいいるのでしょうか。そもそも国の施策が当初理念から離れてきたという現実から、なぜ、もう一度、当初の理念の妥当性を検証しないのでしょうか。
「自覚」がないのか、それとも「自覚」はあるけれど、他者のせいにするしかないのか――。今の法科大学院がどちらなのか、このアンケートからだけでは分かりませんが、それを問わなければ、「本当にやれるのか」「『価値』を示せるのか」という制度の現実への根本的問いかけは、延々と積み残される形になるように思えてきます。
あなたは憲法学者らが「違憲」とした安保関連法案に対する政府の対応をどう考えますか。また、どのような扱いをすべきだと思いますか。ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「ニュースご意見板」http://shihouwatch.com/archives/6707
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それははじめから、それに見合うだけのことが「本当にやれるのか」「『価値』を示せるのか」という疑いを排除して進められたといっていいものでした。なぜなら、その実証を前提にすれば、少なくとも志望者にとってリスクが少ないはずの、強制ではない選択制という道を、それこそまるで選択の余地がないもののように、「改革」は排除したからです。
新法曹養成制度に当初課せられたのは、司法試験年合格3000人に向って、法曹の量産体制を支えながら、基本的に「質」は落とさない、ということのはずでした。しかし、量産が実現するまで、司法試験合格を簡単にすることなど基本的に念頭にない法曹界には、当初から法科大学院の「実力」に懐疑的な見方もあり、とりわけ裁判所の関係者からは、多分に「お手並み拝見」的なニュアンスの声も聞かれました。ただ、今にしてみれば、弁護士会の「改革」推進派が、法曹養成への主導的関与という期待感と「野望」を背景に、一番前のめりだったといっていいかもしれません。
中核としての優位な立場を与えられた法科大学院は、その期待にこたえ、司法試験という関門を通るレベルの人材を輩出する使命を帯びた、というのが法曹界側の基本的な理解です。現実的に司法試験合格者が2000人レベルにとどまったのは、3000人構想への非協力でもなんでもなく、いわば逆立ちしてもギリギリそれ以上は合格させられなかった、法科大学院体制の「実力」というとらえ方も強くあります。
小林正啓弁護士の著書「こんな日弁連に誰がした?」に印象的な記述があります。2004年にスタートした法科大学院体制の合格2000人頭打ちという「実力」がはっきりするのは、2009年のことだったとみていいと思いますが、その前年2008年7月まで法科大学院側は強気で、中央教育審議会の田中成明会長は法科大学院が「期待される役割を果たしている」としていた、と。それが1ヵ月後に一転、座長自身が「質」の懸念とともに、はじめて下位校統廃合の方向に理解を示します。その理由について、小林弁護士は次のように推測しています。
「豹変の理由は、おそらくこうだ。法科大学院出身の司法修習生が研修所の卒業試験で書いた答案集を見せられたのである。法律家の誰もが一瞥して天を仰ぎ、『法科大学院は一体何を教えているのだ?』と激怒するような答案の束を突きつけられては、ぐうの音もでない。被告人のアリバイの主張を無視するような『トンデモ答案集』は、一部マスコミにも公開された」
法科大学院は、今、「改革」の結果をどう考えているのか。その一端を知ることができる、朝日新聞が廃止校、募集停止校を含めた全74校を対象に行ったアンケート調査の結果が報じられています(同新聞7月3付け朝刊、朝日デジタル)。
回答があった57校の約8割が政府の施策に問題があったと回答(「大いに問題」26校、「ある程度は問題」20校)。重要と思う問題点は複数回答ありで「予備試験を導入すべきではなかった」が24校、「大学院の設置数を絞るべきだった」が23校、次いで「司法試験を大学院の講義に対応させるべきだった」17校、「7、8割という司法試験合格率の想定が高すぎた」9校で、法科大学院側の「努力が不十分だった」は6校――。
参入、推進した側の自己弁明、あるいは恨み節という要素は否定できませんし、これらがすべて「本音」といえるかも分かりません。当然、「そもそも参入しなければよかった」ということは、大学側の責任につながるゆえに表に出づらい「本音」のはずですし、そこにはまた、あの乗り遅れるなとばかりに各大学が手を挙げるなかで、そういう選択肢はなかったという、これも表に出ない弁明もあるもしれません。
もちろん、この「本音」は必ずしも法科大学院教員の「本音」とは括れません。そもそもの構想に無理があったことを認識しながら、いまや「失職」を回避したいということが、それでも制度にしがみつく「本音」という声も聞こえてきます。
ただ、それにしても法科大学院側の「努力不十分」を挙げたのは6校だけという現実はどうみるべきでしょうか。「努力次第でなんとかなったという認識か」という問いかけもできなくはありませんが、「改革」によって優位な立場を与えられながら、責任が果たせなかった、その「実力」を省みる方向の認識が、これだけという現実です。
「法科大学院 浮かぶ不満」。こう見出しで振った「朝日」のこの記事の論調は、「国の施策が当初の理念から離れている」と括り、国に責任ありの法科大学院・関係者のコメントで固めるなど、はっきりと彼らよりの立場を示しています。文脈・構成から考えて、予備試験制限必要論、現行司法試験元凶論、さらに国の責任による弁護士職域拡大論に同調しているようにとれますし、読者にもそう伝わると思います。
しかし、なぜ、今、プロセス強制という便宜を図ってもらいながら、「結果」を出せず、「価値」を示せなかった制度そのものの責任や無理をまず問わないのでしょうか。予備試験の「バイパス化」を目の敵にしても、優位な立場を与えられても選択されなかった結果なわけで、「導入すべきでなかった」という声も、制限論も、強制不足といわんばかりの強制頼みの姿勢ともいえます。予備試験を制限したところで、志望者の費用対効果を踏まえた「価値」を示せなければ、さらに人材はこの世界から離れていくだけです。
前記した通り、司法試験の内容を法科大学院の現実レベルに合せて拡大するのには、限界があることは既に明らかになっていることです。また、具体的に何ができる話かも分かりませんが、国が企業・自治体に働きかければ弁護士の経済状態が回復し、志望者が回復するという楽観論に立つ人は現実的にどのくらいいるのでしょうか。そもそも国の施策が当初理念から離れてきたという現実から、なぜ、もう一度、当初の理念の妥当性を検証しないのでしょうか。
「自覚」がないのか、それとも「自覚」はあるけれど、他者のせいにするしかないのか――。今の法科大学院がどちらなのか、このアンケートからだけでは分かりませんが、それを問わなければ、「本当にやれるのか」「『価値』を示せるのか」という制度の現実への根本的問いかけは、延々と積み残される形になるように思えてきます。
あなたは憲法学者らが「違憲」とした安保関連法案に対する政府の対応をどう考えますか。また、どのような扱いをすべきだと思いますか。ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「ニュースご意見板」http://shihouwatch.com/archives/6707
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