「二割司法」の亡霊
山口組の分裂について、10月20日に日本外国特派員協会で行われた記者会見に、ノンフィクションライターの溝口敦氏と臨んだ久保利英明弁護士がこんな風に述べる一幕がありました。
「非常に溝口さんがいいことをおっしゃって、『社会的需要がなくなった』ということなんですが、その需要がというのは実は、今までは興行、エンターテイメントの興行をヤクザがやるとか、不動産の地上げをやるとか、あるいは債権回収をやるとか、みんなヤクザがやっていたのが、今、日本の弁護士の数が増えました。そのせいでヤクザの仕事がどんどん弁護士に取られちゃってるんですね」
この発言の、ある意味巧みなところは、率直に言って、否定はできないが、どこまで強調できる話なのかが分からないというところにあるように感じます。有り体に言えば、こういう実態もあったとしても、それがどこまでヤクザの社会的需要を奪う決定的な要素につながったのかについては、専門家としても評価は難しいということです。この発言に対する同業者の反応にもそんなものがみられます。
事実、久保利弁護士自身が、この会見の冒頭、「ほとんどヤクザを相手にする仕事に絡んできた」という45年の弁護士経験からみた、ヤクザ盛衰の歴史を語っています。倒産事件関与から1980年代同事件の関与から総会屋ビジネスへ。1982年の商法改正での利益供与禁止で多くの会社が弁護士の力を借りて彼らを締め出そうとするものの、大手銀行、証券会社、大手メーカーの供与継続でうまくいかなかったが、1997年第一勧銀・四大証券事件で東京地検特捜部が動き、犯罪行為としての認識が拡大。21世紀に入り、総会屋は影を潜め、今度は金銭にからむ幅広い分野に介入。一方で1992年施行の暴対法で追いつめられた暴力団は地下に潜りマフィア化し、山口組も勢力を伸ばすが、2009年からは各自治体の条例によって暴力団排除の動きが強まった――と。
「日本の経済の発展とともに大きくなった暴力団だが、もはや日本の経済は暴力団の存在を許さない。利用したり、おカネを払ったりする経済システムではなくなった」と彼は結論づけています。そう考えれば、彼らの置かれた社会的環境、商慣習のような彼らとのかかわり対する社会の対応が大きくかわったことこそが、彼らからみた「社会的需要」を失う主要因になったととれます。弁護士がそこにかかわっていたとしても、あたかも激増した弁護士が彼らの仕事をどんどんとっていったという風に単純に結び付けられる話なのかどうかは疑問に思えます。
ただ、そのこと自体よりもこの発言で強く感じたのは、こうしたとらえ方に対する久保利弁護士の熱意のようなものです。なぜならば、このとらえ方こそ、いまでこそ根拠のない感覚的数値の烙印を押されたものの、「改革」当初、結果として弁護士の激増政策の目的として、それを強力に牽引することになった「二割司法」の描き方につながっているようにみえるからです(「『二割司法』の虚実」)。この言葉が描いてみせた、それこそヤクザが介入するような不正解決が大量にはびこる日本社会。それを解消するためにこそ、弁護士の激増が必要なのだ、と。
彼が代表理事を務める「ロースクールと法曹の未来を創る会」は、既に旗が降ろされた司法試験年3000人合格目標の達成と、その達成の合格者数上限撤廃という、あくまで「改革」当初の路線の堅持を掲げています(法曹養成制度改革提言)。そうした彼のスタンスからすれば、ここはどうしてもヤクザの「社会的需要」を奪った弁護士増員の成果、「二割司法」の描き方とその解消という役割を果たした激増政策の正しさを強調したかったのではないか――。そんな風にみえてしまうのです。
改めて会見の動画をみると、この発言は暴対法施行以降、暴力団が数を減らしている現実から、「暴力団全体に社会的需要がなくなった」という見方を示した溝口氏の発言にあえて乗る形で、「久保利から一言ですけれども」という前置きで彼が語りはじめたものでした。ただ、このあとの前記発言のあと、通訳を介さずに彼の発言を理解した会場から笑いが起こります。この笑いにはどんな意味があったのでしょうか。もちろん、これをジョークと受けとめたわけではないですが、弁護士がヤクザの「社会的需要」を肩代わりするという図は、ちょっと彼らにとっては面白かった。
それはあえてうがった見方をすれば、久保利弁護士が大真面目に伝えたかった激増政策の効用よりも、日本でも時々「合法的ヤクザ」などと揶揄する言葉を被せられる弁護士のブラックなイメージの方を、この肩代わり論が連想させてしまったということかもしれません。
久保利弁護士はそれでも別に意に介する風でもなく、「私も(ヤクザの仕事を取る)その尖兵で随分取ったんですけども、そういう意味で、ヤクザに対する需要が司法に対する需要というふうにシフトしてきている」などと続けていました。彼の発言とその熱意からは、弁護士がヤクザの「社会的需要」を奪うのに貢献したという彼の見立てが、どの程度当たっているのかということ以前に、やはり彼がいまでも「『二割司法』の亡霊」に取り憑かれているということの方が印象強く伝わってきてしまいます。
弁護士、司法書士からみた、法テラスの現状の問題点について、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/6046
司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

にほんブログ村

にほんブログ村


「非常に溝口さんがいいことをおっしゃって、『社会的需要がなくなった』ということなんですが、その需要がというのは実は、今までは興行、エンターテイメントの興行をヤクザがやるとか、不動産の地上げをやるとか、あるいは債権回収をやるとか、みんなヤクザがやっていたのが、今、日本の弁護士の数が増えました。そのせいでヤクザの仕事がどんどん弁護士に取られちゃってるんですね」
この発言の、ある意味巧みなところは、率直に言って、否定はできないが、どこまで強調できる話なのかが分からないというところにあるように感じます。有り体に言えば、こういう実態もあったとしても、それがどこまでヤクザの社会的需要を奪う決定的な要素につながったのかについては、専門家としても評価は難しいということです。この発言に対する同業者の反応にもそんなものがみられます。
事実、久保利弁護士自身が、この会見の冒頭、「ほとんどヤクザを相手にする仕事に絡んできた」という45年の弁護士経験からみた、ヤクザ盛衰の歴史を語っています。倒産事件関与から1980年代同事件の関与から総会屋ビジネスへ。1982年の商法改正での利益供与禁止で多くの会社が弁護士の力を借りて彼らを締め出そうとするものの、大手銀行、証券会社、大手メーカーの供与継続でうまくいかなかったが、1997年第一勧銀・四大証券事件で東京地検特捜部が動き、犯罪行為としての認識が拡大。21世紀に入り、総会屋は影を潜め、今度は金銭にからむ幅広い分野に介入。一方で1992年施行の暴対法で追いつめられた暴力団は地下に潜りマフィア化し、山口組も勢力を伸ばすが、2009年からは各自治体の条例によって暴力団排除の動きが強まった――と。
「日本の経済の発展とともに大きくなった暴力団だが、もはや日本の経済は暴力団の存在を許さない。利用したり、おカネを払ったりする経済システムではなくなった」と彼は結論づけています。そう考えれば、彼らの置かれた社会的環境、商慣習のような彼らとのかかわり対する社会の対応が大きくかわったことこそが、彼らからみた「社会的需要」を失う主要因になったととれます。弁護士がそこにかかわっていたとしても、あたかも激増した弁護士が彼らの仕事をどんどんとっていったという風に単純に結び付けられる話なのかどうかは疑問に思えます。
ただ、そのこと自体よりもこの発言で強く感じたのは、こうしたとらえ方に対する久保利弁護士の熱意のようなものです。なぜならば、このとらえ方こそ、いまでこそ根拠のない感覚的数値の烙印を押されたものの、「改革」当初、結果として弁護士の激増政策の目的として、それを強力に牽引することになった「二割司法」の描き方につながっているようにみえるからです(「『二割司法』の虚実」)。この言葉が描いてみせた、それこそヤクザが介入するような不正解決が大量にはびこる日本社会。それを解消するためにこそ、弁護士の激増が必要なのだ、と。
彼が代表理事を務める「ロースクールと法曹の未来を創る会」は、既に旗が降ろされた司法試験年3000人合格目標の達成と、その達成の合格者数上限撤廃という、あくまで「改革」当初の路線の堅持を掲げています(法曹養成制度改革提言)。そうした彼のスタンスからすれば、ここはどうしてもヤクザの「社会的需要」を奪った弁護士増員の成果、「二割司法」の描き方とその解消という役割を果たした激増政策の正しさを強調したかったのではないか――。そんな風にみえてしまうのです。
改めて会見の動画をみると、この発言は暴対法施行以降、暴力団が数を減らしている現実から、「暴力団全体に社会的需要がなくなった」という見方を示した溝口氏の発言にあえて乗る形で、「久保利から一言ですけれども」という前置きで彼が語りはじめたものでした。ただ、このあとの前記発言のあと、通訳を介さずに彼の発言を理解した会場から笑いが起こります。この笑いにはどんな意味があったのでしょうか。もちろん、これをジョークと受けとめたわけではないですが、弁護士がヤクザの「社会的需要」を肩代わりするという図は、ちょっと彼らにとっては面白かった。
それはあえてうがった見方をすれば、久保利弁護士が大真面目に伝えたかった激増政策の効用よりも、日本でも時々「合法的ヤクザ」などと揶揄する言葉を被せられる弁護士のブラックなイメージの方を、この肩代わり論が連想させてしまったということかもしれません。
久保利弁護士はそれでも別に意に介する風でもなく、「私も(ヤクザの仕事を取る)その尖兵で随分取ったんですけども、そういう意味で、ヤクザに対する需要が司法に対する需要というふうにシフトしてきている」などと続けていました。彼の発言とその熱意からは、弁護士がヤクザの「社会的需要」を奪うのに貢献したという彼の見立てが、どの程度当たっているのかということ以前に、やはり彼がいまでも「『二割司法』の亡霊」に取り憑かれているということの方が印象強く伝わってきてしまいます。
弁護士、司法書士からみた、法テラスの現状の問題点について、ご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/6046
司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

にほんブログ村

にほんブログ村


スポンサーサイト