弁護士競争「選抜」実現への「改革」の不透明感
今回の司法改革で、当初から取り沙汰されてきた弁護士サービスの市場化というテーマには、それを成り立たせる条件について、どこまで具体的に見通せているのかという点で、決定的な欠落感を覚えてきました。端的に言えば、弁護士の場合、競争による適正な選抜機能が、一般利用者にとってどのように担保されるのか、という点です。
それは資格制度の捉え方にもかかわってきます。一般的に考えて、前記適正な選抜機能を成り立たせるためには、利用者に選択できる十分な情報や能力が担保されていなければなりません。この現実的に酷な負担を回避させるのが、まさしく資格制度であり、もっといえばその業務の実態が、利用者にとってその意味で酷なことになる専門家であればあるほど、高度で厳格な資格制度があった方が有り難い。少なくとも、現在においても、そう理解している市民は少なくないはずです。
競争による適正な選抜機能を現実的にどう担保するのか――その点が、この「改革」路線はとても不透明であり、むしろこたえを出さないまま進んできたようにみえるのです。市場化を基本とする「改革」の描き方のなかでは、業務独占と結び付いた資格制は新規参入を排除し、競争を阻害するという位置付けになります。増員基調と市場化を是とする立場に立つ以上、前記資格制度への利用者の依存度を減らし、前記適正な選抜が利用者によって実現する未来をどうしても描くことになります。
弁護士の場合の、いわゆる情報の非対称性による市場化の失敗が、「改革」推進論者の念頭になかったとはとても思えません。ただ、そこで何が言われてきたのでしょうか。まず、弁護士の情報開示によって、これが克服できるという考え方。ただ、そもそもその成功を本音で信じている、弁護士がどれだけいるのかすら疑問です。ケースによって個別具体的な判断を求められ、対応を一般化して伝えづらい業務内容にあって、選抜を適正化し得る情報開示とは何なのか、どういう手段を用いるのか、また、それ自体の適正化がどのように担保されるのか、ということは皆目分からない。少なくとも、その点の検討が進展しているようにはみえません。もちろん、弁護士当事者丸投げの広告解禁が、このこたえになっているわけでもありません(「良質化が生まれない弁護士市場のからくり」)。
2003年に日弁連の業務改革委員会が設置した「改革」時代の弁護士像を検討するプロジェクトチームの勉強会での講演で、棚瀬孝雄・京都大学法学部がこの問題に言及していました。彼はあくまで弁護士の市場化を積極的に評価する立場でしたが、この情報の非対称性による市場の失敗を取り上げ、その克服の方向性として、前記情報開示に加えて、資格認定制度を挙げています。「依頼者が弁護士の専門性を判定できない、つまり自分が取引する相手についての情報を完全にもちえない状況のなかで、第三者が代わって、この弁護士であれば大丈夫である、安心して取引できるというかたちで資格を認定」する、としています。
結論からいえば、この制度は実現していません。日弁連内で議論されても、結局、責任を負いきれる主体の問題、方法、公平性の壁をクリアできていません。そもそもこんな利用者にとって理想的に制度が担保できないのは、前記したような情報開示の困難性と同様の性格のものといえますし、ここで資格制度を持ち出すのであれば、棚橋教授もいうようにそもそもが市場の放棄であり、またぞろ独占という問題がぶりかえされてもおかしくありません。
市民の成長に期待する論調も必ず登場します。「甘やかすことはない」とか逆に「利用者の能力を馬鹿にするな」といった声まで聞かれます。ただ、サービスの対価に身銭を切るのだから、利用者側が努力するだろう、その努力によって必ずや非対称性は克服されるだろう、といっているように聞こえる理想論が、推進論者自身もこたえが出せていない前提を飛び越えて言われているようにみえてならないのです。
さらに、一方で、建て前は別として、増員政策と結び付いた法科大学院を中核とする新法曹養成制度も、利用者の安全・安心担保のための厳格な資格制度の実現を果たして目指しているのか、取りあえず合格、大量放出の先の競争・淘汰に質の確保をゆだねるかのごとき姿勢はなかったか、という疑問が、前記前提への疑問とつながって張り付いているようにみえます。
そして、最も問題だと思うのは、このテーマにおいて、「改革」のそれが「成り立つ」とみる発想が、どんな酷な前提を利用者に課す結果になるのか、そのことを多くの利用は認識していない、別の言い方をすれば、意図的にそれが伝えられていないという現実です。
日弁連・弁護士会は、「市民のため改革」を標榜し、市民の身近に、そして社会の隅々まで進出する存在を目指しました。だが、サービスの有償性にしても、この競争を成り立たせる弁護士の選抜にしても、その社会の隅々で出会う利用市民に、現実を分かっているはずの彼らは、一体何を求めたのか、「改革」が一体何を求めていると伝えたのか――。そのことを繰り返し問いかけたくなるのです。
弁護士の競争による「淘汰」という考え方についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4800
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それは資格制度の捉え方にもかかわってきます。一般的に考えて、前記適正な選抜機能を成り立たせるためには、利用者に選択できる十分な情報や能力が担保されていなければなりません。この現実的に酷な負担を回避させるのが、まさしく資格制度であり、もっといえばその業務の実態が、利用者にとってその意味で酷なことになる専門家であればあるほど、高度で厳格な資格制度があった方が有り難い。少なくとも、現在においても、そう理解している市民は少なくないはずです。
競争による適正な選抜機能を現実的にどう担保するのか――その点が、この「改革」路線はとても不透明であり、むしろこたえを出さないまま進んできたようにみえるのです。市場化を基本とする「改革」の描き方のなかでは、業務独占と結び付いた資格制は新規参入を排除し、競争を阻害するという位置付けになります。増員基調と市場化を是とする立場に立つ以上、前記資格制度への利用者の依存度を減らし、前記適正な選抜が利用者によって実現する未来をどうしても描くことになります。
弁護士の場合の、いわゆる情報の非対称性による市場化の失敗が、「改革」推進論者の念頭になかったとはとても思えません。ただ、そこで何が言われてきたのでしょうか。まず、弁護士の情報開示によって、これが克服できるという考え方。ただ、そもそもその成功を本音で信じている、弁護士がどれだけいるのかすら疑問です。ケースによって個別具体的な判断を求められ、対応を一般化して伝えづらい業務内容にあって、選抜を適正化し得る情報開示とは何なのか、どういう手段を用いるのか、また、それ自体の適正化がどのように担保されるのか、ということは皆目分からない。少なくとも、その点の検討が進展しているようにはみえません。もちろん、弁護士当事者丸投げの広告解禁が、このこたえになっているわけでもありません(「良質化が生まれない弁護士市場のからくり」)。
2003年に日弁連の業務改革委員会が設置した「改革」時代の弁護士像を検討するプロジェクトチームの勉強会での講演で、棚瀬孝雄・京都大学法学部がこの問題に言及していました。彼はあくまで弁護士の市場化を積極的に評価する立場でしたが、この情報の非対称性による市場の失敗を取り上げ、その克服の方向性として、前記情報開示に加えて、資格認定制度を挙げています。「依頼者が弁護士の専門性を判定できない、つまり自分が取引する相手についての情報を完全にもちえない状況のなかで、第三者が代わって、この弁護士であれば大丈夫である、安心して取引できるというかたちで資格を認定」する、としています。
結論からいえば、この制度は実現していません。日弁連内で議論されても、結局、責任を負いきれる主体の問題、方法、公平性の壁をクリアできていません。そもそもこんな利用者にとって理想的に制度が担保できないのは、前記したような情報開示の困難性と同様の性格のものといえますし、ここで資格制度を持ち出すのであれば、棚橋教授もいうようにそもそもが市場の放棄であり、またぞろ独占という問題がぶりかえされてもおかしくありません。
市民の成長に期待する論調も必ず登場します。「甘やかすことはない」とか逆に「利用者の能力を馬鹿にするな」といった声まで聞かれます。ただ、サービスの対価に身銭を切るのだから、利用者側が努力するだろう、その努力によって必ずや非対称性は克服されるだろう、といっているように聞こえる理想論が、推進論者自身もこたえが出せていない前提を飛び越えて言われているようにみえてならないのです。
さらに、一方で、建て前は別として、増員政策と結び付いた法科大学院を中核とする新法曹養成制度も、利用者の安全・安心担保のための厳格な資格制度の実現を果たして目指しているのか、取りあえず合格、大量放出の先の競争・淘汰に質の確保をゆだねるかのごとき姿勢はなかったか、という疑問が、前記前提への疑問とつながって張り付いているようにみえます。
そして、最も問題だと思うのは、このテーマにおいて、「改革」のそれが「成り立つ」とみる発想が、どんな酷な前提を利用者に課す結果になるのか、そのことを多くの利用は認識していない、別の言い方をすれば、意図的にそれが伝えられていないという現実です。
日弁連・弁護士会は、「市民のため改革」を標榜し、市民の身近に、そして社会の隅々まで進出する存在を目指しました。だが、サービスの有償性にしても、この競争を成り立たせる弁護士の選抜にしても、その社会の隅々で出会う利用市民に、現実を分かっているはずの彼らは、一体何を求めたのか、「改革」が一体何を求めていると伝えたのか――。そのことを繰り返し問いかけたくなるのです。
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