fc2ブログ

    「本人サポート」への懸念

     現在行われている日弁連会長選とも絡んで、弁護士間で話題になっている、、いわゆる「本人サポート」。既に日弁連が発表している「基本方針」によれば、地裁における民事裁判手続のIT化導入に向け、IT技術の利用困難な本人訴訟当事者の支援を行うものとされています。

     IT技術の利用困難な当事者の支援といわれれば、まず、多くの人は何も弁護士でなくてもかまわないと思うはずのところですが、前記構想は、IT機器の提供や利用方法の教示といった純粋な電子化支援サービス(ITリテラシー支援策)という「形式サポート」に加え、法的助言などを伴う法律サービスとセットになる「実質サポート」を挙げ、後者は「弁護士のみがなし得る」として、ここを弁護士・会が「担う必要がある」という認識を明確に示しています。

     しかし、冒頭に弁護士間で「話題となっている」と書きましたが、聞えて来る多くの弁護士たちの声は、残念ながら、この構想への期待や賛同よりも、不安を訴えるものです。要は日弁連が会員の業務にプラスにならない、むしろ有り難くない制度を推進するのではないか、という不安です。

     指摘されている基本的な問題は、前記法的助言などを伴う「実質サポート」と弁護士の本来的業務との境目が不明確になることで、価格設定などによるしわ寄せが、結局個々の弁護士に来るのではないか、ということが挙げられています。受任ではなく、本人訴訟へのサポートという形が、本来的な有償の弁護士の法的サービスの価値を、利用者市民から見て、またぞろ分かりづらいものにさせるということです。

     それは、価格の問題であると同時に、依頼者の誤解や結果責任の問題としても懸念されています。弁護士の法的サポートを受けたと理解する依頼者市民は、弁護士側があくまで限定的なサポートと位置付けたところで、訴訟の結果に対して、その責任を弁護士に被せようとするかもしれない。また、それが操作ミスやシステムエラーが原因のものまで及んで来るという懸念もあります。

     より安く簡易にという発想に流れがちな依頼者市民の本音が被せられれば、それこそ「実質」を依頼した効果を、このサポートに過大に期待しても当然ですし、また、その誤解のツケもまた、弁護士が負う恐れがあるという話です。

     弁護士にとっての採算性ともに、弁護士の業務価値への影響という論点もはらみます。あくまでサポートという境目を弁護士側の認識で進めて、それを依頼者市民が理解し得ないことも考えられますが、同時にあくまでより安く弁護士を活用し、「お得な」法的サービスを引き出せるものと理解されてしまう危険性も十分あります。弁護士の中からは、早くも「本来的業務の安売り」といった声も出ています。

     そして、さらにこの構想には、根本的に弁護士たちの不安のツポを刺激しているものがあるようにとれます。前記「基本方針」の提案理由の中には、次のような表現が出てきます。

     「連絡会議の下に設けられている幹事会における有識者ヒアリングにおいても、本人訴訟のサポート体制の整備として官民の既存の基盤(地方公共団体、法テラス、弁護士会、司法書士会等)の活用と必要な予算の投入の必要性等が指摘され、当連合会の態度決定が迫られている」
     「他方で、民事裁判手続のIT化に伴う懸念として、IT面のサポートに便乗するなどした非弁活動の増加が指摘されている」
     「したがって、当連合会は、非弁活動による国民の不利益を防止しつつ,民事裁判手続のIT化が導入されても、年齢、職業、地域などの当事者の置かれた立場を踏まえ、本人訴訟でIT技術の利用が困難な当事者本人の裁判を受ける権利が十分に保障されるよう積極的な取組をする必要がある」
     「形式サポート及び実質サポートのいずれについても、資力の乏しい本人には、法テラスによる十分な情報提供と相談対応が不可欠である。また、本人サポートに限っては、代理援助を基本とする法テラスの既存の枠を超えて、法テラスが本人に対してより幅広いIT支援を可能とする枠組みやIT機器の整備等が十分に検討されるべきである」

     弁護士会の意見書を見慣れている人間からすれば、何の違和感もない、おなじみの調子ともいえますが、「迫られている」「指摘されている」から導き出される必要論と「べき論」が先行する中で、前記したような会員の不安が顧みられないパターンもまた、ある意味、弁護士会の見慣れた景色。さらにもっと言ってしまえば、司法改革の失敗のパターンを彷彿させるものです。

     かつて本人訴訟に挑戦する家族を企画として取り上げ、その苦悩を身近で見て来た経験あるものとして、本人訴訟への専門家のサポートが当事者にとって、どれほど有り難いものであるかということも、一応理解はしているつもりです。本人訴訟への動機や経緯そのものは、司法や弁護士の役割への誤解も含めて様々ですが、私が取り上げた家族のように、味方だと思っていた弁護士に去られ、その後、様々な事情から、どうしても弁護士に辿りつけない結果、本人訴訟に至るケースもあります。

     彼らは弁護士に依頼する価値を理解していないわけでは毛頭なく、本人訴訟を通して繰り返し思うのは、「今、弁護士がそばにいてくれたら、どうサゼッションしてくれるのだろう」というものでした。だからこそ、前記した弁護士たちの「実質サポート」と本来業務との境目への不安・懸念は、弁護士のみならず、当事者にとっても避けられない極めて現実的な問題であるという気がするのです。


     今、必要とされる弁護士についてご意見をお寄せ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4806

     司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    弁護士横領事案と弁護士会の姿勢の問題

     建て前を別にすれば、後を断たない弁護士の横領事案に対して、現状、弁護士会という組織がそれを止められるという、具体的な見通しは立っていないといわなければなりません。妙案、妙策はありません。預かり金口座を弁護士会が管理すればいい、といったことも言われますが、多くの弁護士は、その効果に懐疑的なようです。横領に手を染める弁護士が、ここに果たして入金するかも含めて、これに誠実に対応するとも思えないからです。

     横領事案に限らず、弁護士会が打ち出す対策は、その抑止効果から逆算されたものではなく、むしろ弁護士自治を抱えていることから導き出された、といっていい現実があります。有り体にいえば、完全自治を保持している以上、対策を打たないわけにはいかない、という、姿勢としての意味合いが強く反映しています。嫌な言い方をすれば、何もしなかったわけではない、やれることはやっていることの既成事実化ということもできてしまうかもしれません(「弁護士横領事案、『連帯責任』の受けとめ方」 「『預かり金流用』という弁護士の現実」)。

     しかし、これは弁護士自治にとって逆効果という見方があります。弁護士会が弁護士自治を掲げて、その旗の下で、責任を自覚している、という立場に立ち、前記のような対策を打って、その効果がないほどに、自治は攻撃される。つまり、彼らには自浄能力がない、完全自治を持たせるには不適格だと。

     本音の部分で、弁護士の中には、この板挟み的な状況に、やりきれないという声もあります。弁護士の監督は弁護士会ではなく、いわば特別扱いをやめて、一般的な監督官庁を、法務省などにすればよし、という話が、およそ前記自浄能力の話が出る度に、言われてきました。ただ、声にできない多くの弁護士の声に耳を傾ければ、現状のような弁護士の横領事案は、仮に監督官庁を法務省にしたとしても、おそらく抑止できないだろう、という見方も強くあるのです。

     つまり、何を言いたいかといえば、こうした弁護士の横領事案が今日的な問題になっている、根本的な、構造的な原因に踏み込まなければ、現状はどうにもならず、むしろ弁護士会自身が前記したような建て前から生み出されているような弥縫策からの発想の転換を図らなければ、自らの首を絞めることにならないか、ということです。そうしなければ、ますます弁護士自治は、本来の必要性を顧みられることなく、窮地に立つのではないか、と思えるのです。

     そして、その根本的な原因が何かといえば、それは取りも直さず、「改革」の弁護士増員政策が生み出した弁護士の経済状況の悪化です。横領の原因が、判を押したように、事務所維持の困難化など弁護士の経済的窮状によるものであるのを見れば、それはあまりにも明らかです。

     経済環境と弁護士の不祥事の関係を考える時、それはもちろん弁護士の倫理レベルの問題ということにはなります。つまり、どんな状況であっても他人のカネに手を付けることはゆるされるわけない、とか、所詮、その経済環境に堪えられなかったレベルの倫理しか持ち合わせてなかった、とか。

     もちろん、それもその通りだと思います。ただ、残念なことに、この発想の先にも、依頼者市民の被害をできるだけ早急に防止するための、現実的な対策が導き出せると考えるのは、心もとないといわなければなりません。確かに同じ状況であっても、手を染める人間と染めない人間がいるわけで、それこそこうした状況にも、折れ曲がらない倫理を弁護士に教育する意義はあります。

     しかし、その正しさは認めるとしても、今求められるのは、弁護士が不正の誘惑に傾斜しない、いわば安全な環境を直ぐに作ってもらう方が、被害を受ける社会の側にとって、有り難い状況ではないでしょうか。同業者までが「この人が」と驚くような人や、弁護士会の役員を務めたような人までが、不祥事に手を染めている現実を見る度に、おそらく彼らは、この「改革」の状況が無ければ、不祥事に手を染めなかったし、当然、被害も生まれていなかった。

     手を染めた彼らの倫理レベルの低さを何度指摘したところで事態は解決しないし、むしろ、限界線を突破していない不祥事予備軍が、次に控えているかもしれないことの方を考えてしまいます。

     弁護士の増員政策がまだ途に就き始めたころ、これに伴う不祥事増加のリスクについてどう考えるかを、推進派の弁護士に尋ねたところ、その回答の中で、彼は今にしてみれば、とても印象的なことを述べていました。

     「(人数が)増えたから、(不祥事も)増えたとは口が避けてもいえない」

     前記したような弁護士自治堅持の、いわば建て前からして、こういう現実が起きたとしても、そうは言えない。だから、なんとかしなければいけない、ということだったと思います。しかし、ここでむしろ感じたことは、彼ら推進派も増員政策の先に、今日のような状況が生まれることの不安を感じていたこと、そして、それに対する具体的な妙案、妙策がない「なんとか」論で突き進もうとしていたことです。

     案の定という状況が生まれている今、改めて何を直視し、何を振り返るべきかが問われているはずです。


     弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794

     司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    弁護士会自己アピールの欠陥と会員目線

     明けましておめでとうございます。
     今年もよろしくお願い致します。

     弁護士・会は正当に評価されていないのではないか、という弁護士会員の声が異口同音に聞かれます。あくまで印象とお断りしますが、それは以前よりも会内膨らんできており、そして、さらにそれは評価しない社会に対しての不満ではなく、よりその批判の矛先が弁護士会自体に向けら始めているようにもとれるのです。  

     最近も、ある弁護士のX(旧ツイッター)へのこんな投稿が目に止まりました。

     「弁護士は、ひまわり基金とか、当番弁護とか、日弁連委託援助とか、もっと弁護士がお金出して、公共のために努力していることを広報するべきだと思う。致命的にこれが下手だと思う。法科大学院制度だって、あれだけ手弁当で支援したのに、関係者に逆恨みされているお・・・」(深澤諭史弁護士のポスト@fukazawas)

    弁護士は公共のために汗をかいているのに、それが評価あるいは認識されない要因として、弁護士会がアピール不足、あるいはその方法に問題があるのではないか、という、よく聞かれるようになっている指摘です。

     後段の部分は、法科大学院制度がうまくいかなかった原因が、弁護士会の「ネガティブ・キャンペーン」にあるとする、法科大学院関係者から聞こえてくる論調です。現実は、弁護士会主導層は、法科大学院擁護派であり、旗振り役に回っており、また、やり玉にあげられる増員政策へのスタンスにしても、内部に反対・慎重論があるのは事実ですが、少なくとも会として増員基調の「改革」に抵抗しているとはいえません。

     つまり、「逆恨み」と表現していますが、「ネガティブ・キャンペーン」論は、事実に反し、根拠がない。しかし、むしろ依然、ある意味、堂々と言われ、それに対し、会がそれを言わせないような形で、堂々と反論しているようにもとれないところに、会員のもどかしさと、会への不満がある。そして、それは他の活動も含めた、弁護士会の致命的なアピール下手が根底にある、という捉え方になります。

     また、中にはこんな捉え方もあります。

     「法案、政策には全く存在感を示せない弁護士会が、法科大学院や法曹養成制度を潰したように言われるのは、やはり政治力のなさゆえだろう」(「TM」氏のポスト@63s244)

     この弁護士会の政治力のなさという点も、実は以前から弁護士会員間で、言われて来たことではありましたが、それが前記「ネガティブ・キャンペーン」論調の跋扈を許している現実とつなげられることになっています。一方で、法案、政策での存在感が示せない弁護士会が、そもそも「ネガティブ・キャンペーン」によって法科大学院や法曹養成を潰せる存在なのか、という皮肉な問いかけにもなっているようにとれます。

     しかも、この点では、「ネガティブ・キャンペーン」論調を掲げる側が、あたかも弁護士会が自らの会員利益を護るために、それを実行したかのようなニュアンスで伝えていることを取り上げて、そもそも今の弁護士会が会員利益のために行動するのか、どこにそんな弁護士会が存在するのか、といった、別の皮肉を言う声も聞こえてきます。

     もっともここで挙げられる「政治力」がいかなるものであるべきなのか、そして、それが弁護士会の活動そのものに相応しいものとして存在し得るのか、という点は、やはり残ると思います。あくまで人権という観点で、筋を通した発言やスタンスを貫くことと、与党政治家や政権との距離感から生み出されるような「政治力」(仮にそういうものだとすればですが)が、それはそれで弁護士会の立ち位置に影響を与えることにならないのか、という点です。

     ただ、そうだとしても、問題は若手を含む多数派を形成している「改革」後世代の会員の意識です。「改革」後のこの世界で、特に会員にとって負担感が増している高い弁護士会費を徴収されながら、強制加入でありながら、会は自分たちのために何をしてくれているのか、守ってくれているのだろうか。

     さらに言ってしまえば、それが止むを得ない「改革」のための、あるいは公共のための、弁護士に想定された、在るべき「犠牲」の結果だとして、それがなぜ、評価につながらないのか――。

     そうした現実に照らせば、前記投稿の中の「政治力のなさ」という表現や、それを弁護士会の課題とすることに、どれほど弁護士が違和感を持つだろうか、という気にもなるのです。そして、もし、弁護士会主導層が、この会員の意識の地殻変動を無視し続けるのであれば、その意識格差はどんどん広がり、弁護士会そのものが持ちこたえられなくなることすら想像してしまうのです。


     弁護士自治と弁護士会の強制加入制度の必要性について、ご意見をお聞かせ下さい。司法ウオッチ「司法ご意見板」http://shihouwatch.com/archives/4794

     司法改革に疑問を持っている人々ための無料メールマガジン「どうなの司法改革通信」配信中!無料読者登録よろしくお願いします。http://www.mag2.com/m/0001296634.html

    にほんブログ村 士業ブログ 弁護士へ
    にほんブログ村

    にほんブログ村 その他生活ブログへ
    にほんブログ村



    人気ブログランキングへ

    テーマ : 弁護士の仕事
    ジャンル : 就職・お仕事

       スポンサーリンク



    プロフィール

    河野真樹

    Author:河野真樹
    司法ジャーナリスト。法律家向け専門紙「週刊法律新聞」の記者・編集長として約30年間活動。コラム「飛耳長目」執筆。2010年7月末で独立。司法の真の姿を伝えることを目指すとともに、司法に関する開かれた発言の場を提供する、投稿・言論サイト「司法ウオッチ」主宰。http://www.shihouwatch.com/
    妻・一女一男とともに神奈川県鎌倉市在住。

    旧ブログタイトル「元『法律新聞』編集長の弁護士観察日記」


    河野真樹
    またまたお陰さまで第3弾!「司法改革の失敗と弁護士~弁護士観察日記Part3」
    河野真樹
    お陰さまで第2弾!「破綻する法科大学院と弁護士~弁護士観察日記Part2」
    河野真樹
    「大増員時代の弁護士~弁護士観察日記Part1」

    お買い求めは全国書店もしくは共栄書房へ。

    最新記事
    最新コメント
    最新トラックバック
    月別アーカイブ
    カテゴリ
    検索フォーム
    RSSリンクの表示
    リンク
    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード
    QR